モンサンミッシェルを後にして、南に向かってバスに揺られること約4時間。
続いてやってきたのは、ロワール地方にある
『シュノンソー城《Château de Chenonceau》』です。

大きな木が立ち並ぶ通りを抜けると、



じゃじゃん!



可愛らしいお城が見えてきました。

今残っているお城は、シャルル8世の従事だった
トマ・ボイエという人の奥様が設計されたのだとか。
このお城、当時としてはそうとう型破りな設計なのだそうです。

当時のお城には廊下というものは無く、一番奥の部屋に行くには、
色んな部屋を次々と通っていなかければ行けなかったそうです。
でもボイエさんの奥様は、真ん中に廊下を作り、
どの部屋にも直接入れるような設計にしました。
今では当たり前のことですが、当時はとても画期的なことだったようです。

それからもうひとつ。
当時のお城は、要塞の役目も兼ねていたので
階段は右回りの螺旋階段が常識だったそうです。

右利きの人が多いので、戦うときは右手に武器を持つことになります。
右手に武器を持って右回りの螺旋階段を通ると、
下から登ってくる敵の武器は螺旋の内側、
上で迎え撃つ方の武器は螺旋の外側になります。
なので、攻め入られたときに、城を守る側が戦いやすい構造だったのだそうです。

でもボイエさんの奥様、戦いよりも使いやすさを優先させたようで、
今と同じ、真直ぐな階段を作りました。


後にシュノンソー城は、フランソワⅠ世に献上されました。



フランソワⅠ世の紋章、サラマンダー(火蜥蜴)

フランソワⅠ世が亡くなった後は、王位を継いだアンリⅡ世のものになりました。
王の妻は王族か貴族出身であることがフウツだったのですが、
アンリⅡ世は、イタリア商人の娘だったカトリーヌ・ド・メディシスを妻にしていました。
もともとお兄さんがいたので、王様になる予定じゃなかったんですね。
お兄さんが急逝してしまったので、急遽王位を継ぐことになった、と。

シュノンソー城の至るところに、アンリⅡ世と妻のカトリーヌの紋章がちりばめられています。



アンリ2世(Henri Ⅱ)の頭文字『H』と、カトリーヌ(Catherine)の頭文字『C』


お城はあくまでもアンリⅡ世の持ち物ですから、
王とその正妻の紋章があるのはあたりまえです。

この2つの頭文字を組み合わせた、といわれる紋章がこちら。



…どうみても『D』にしか見えませんが。


アンリⅡ世は、カトリーヌにフランスの貴族の生活などについて色々と教える係を、
ディアーヌ・ド・ポワチエ((Diane de Poitiers)さんという方に任せます。
このポワチエさん、もともとはアンリⅡ世の父であるフランソワⅠ世のお妾さんだったそうです。
子供の頃のアンリⅡ世の家庭教師をしていたこともあったとか。
ということで、アンリⅡ世より20歳も年上だったのですが、
とてもそんな歳には見えない、それはそれは美しい方だったそうです。

で、アンリⅡ世、ちゃっかりポワチエさんをお妾さんに。
どう見ても『D』にしか見えない紋章は、実はディアーヌの頭文字なのだそうです。

20歳も年上にも関わらず、アンリⅡ世は正妻のカトリーヌなんてそっちのけで、
ポワチエさんに夢中。
そしてシュノンソー城をポワチエさんにプレゼントしてしまいます。

ポワチエさんは、お城と川沿いの景色をとても愛し、
アーチ型の橋を作ってお城を向こう岸と結んだそうです。
なのでシュノンソー城は、ロワール川の上にこんな風に建っています。



ディアーヌのアーチ橋と呼ばれているそうです。


さて、このお城にはお庭が2つあります。

お城から見て右手が、ディアーヌの庭。



広々と明るい、気持ちのいいお庭です。


左手がカトリーヌの庭。



(修復工事の関係でこれしか撮影できませんでした…)
ディアーヌの庭より狭く、森に飲み込まれそうな雰囲気でした。

正妻のカトリーヌが、お妾さんのディアーヌに対抗して作ったお庭だそうです。

こんなに可愛らしいお城なのに、女の嫉妬が渦巻くお城だったんですねぇ…。


ところで、シュノンソー城は、小さいながらも色々なお部屋があったのですが、
なかでも一番楽しかったのが、地下にあるお台所。
…の壁に飾られていた



鹿さんと



猪さん。

鹿と猪に見つめられながらのお食事って、どんな気分なんだろう???



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